大震災から4か月目を迎えて

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東日本大震災から4か月目の節目だった7月11日は、岩手県の山田町というところで迎えた。これは狙ったわけではなく、ボランティアバスの運行スケジュールと自分のカレンダーを摺り合わせたら、そうなってしまっただけのことだけど。現地では特に追悼行事も予定されておらずサイレンなども鳴らなかったが、同じ現場作業を担当した人から「黙祷しましょう」という提案があった。この人は震災後から個人や団体で何度も被災地入りしているそうだが、押し付けがましさもなく、「現地の人の気持ちを第一に考える」という筋の通った人だ。私よりもずいぶん年下だが、見習いたいところがたくさんあった。
(正直なところ、私が所属している災害ボランティア団体には色々な人がいて、「自分は経験豊富だから教えてやる or 従え」という態度の人もチラホラいる。特に年配の人。それでいて、同じような人が複数集まると意見がぶつかって揉めたりするのだよ……なんだかなぁ。もちろん年配の方でも、1スタッフとして身を粉にして尽力してる人もいる。)
この人の他にも、状況に応じてスッと助け船を出してくれる人が何人もいた。本当に恵まれたと思う。

行き帰りのバスの中でぼんやりと考えていたこと。大震災の後、私には確実に変わった部分がある。何よりも、「枠」が壊れた。今まで「自分はこれが得意、それは苦手」「これはできる、それは無理」と思っていたことも、覚悟を決めてやってみれば、たいして難しいことではなかったり。被災地ボランティアしかり。体力が…とか、バス車内で眠れるか…とか尻込みする要素はあったが、行ってみれば(疲れはするけど)大丈夫だった。人付き合いもしかり。今までなら、「この人とは波長が合わなそうだ」と感じた時点で、その人とはあまり関わり合いにならないようにしていたし、それで済むことも多かった。でも、第一印象で「苦手っぽい」と思った人でも、こちらが真摯に接すれば相応の反応が返ってくるものだとわかった。もちろん、そう簡単にすべてがうまくいくわけじゃないけど、「自分に足りないもの」が見えたら、またそこにビルディングブロックを積み上げていけばいいんだし。

ところで、被災地ボランティアに行くと人に言うと、「すごい行動力」とか「勇気ある」とかの反応が返ってくることがある。でも、それはどうなのかな。勇気とか行動力じゃなく、「覚悟」の問題だと思う。大震災の被害の悲惨さを自分の目で見て、どう消化できるか。覚悟を決めてしまえば、いろいろな団体が貸切バスを仕立ててお膳立てしてくれてるので、自分で何から何まで調べたり手続きしたりする必要はないし、体力的にも登山やスポーツ合宿に行くのと大差ない。

過去のブログから転記しました