1か月

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東北関東大震災から1か月が経ち、この間の自分を取り巻くできごとについて書き残しておきたいと思った。後で何かのヒントになるかもしれないことに絞って書こうと思ったが、どうしても、被災地の友人についての私的なことがらを抜きにして考えることは難しい。さまざまなことに迷いつつ、今のところ確固たる解決策も見つからずにいる。そのようなエントリーであること、また、まだ自分の中で消化しきれていないこともあり、当面の間はこのエントリーに対する直接のコメントとトラックバックは受け付けない設定にすることを、あらかじめお断りしておきます。

私にとって、この1か月間の最大の関心事は、特に大きな被害が報道されている地域に住む友人の安否確認だった。

東北に特別に縁が深いわけではない。これまでも、阪神淡路大震災、新潟中越地震、奄美豪雨災害など、友人知人に影響のあった災害はあった。しかし今回は、被害のあまりの大きさにショックを受けるとともに、なかなか連絡が取れないことで益々消耗した。

安否情報の確認手段として、電話会社の災害時伝言板サービス、本人の携帯電話やPCのメールは、今回はほとんど役に立たなかった(本人がたまたま被災地とは別の場所にいて連絡が取れたという例外はあったが)。テレビの情報も、当然ながら取材陣が入れる範囲でしか得られない。Google Person Finder、Twitterやmixiでも情報を探したが、地震発生から1週間ぐらいは、情報を探している人による書き込みがほとんどだった。中には現地情報もあるにはあったが、土地勘がある人でないと状況把握は難しいと感じた。

あまりにも、現地からの情報がなかった。それはそうだろう。被災地では、固定電話も携帯の電波も通じず、携帯やPCが無事だったとしても停電で使えず、たとえ使える状況であったとしても、身内に連絡するので精一杯だったろう。

安否情報がようやく入り出したのは、4日目以降から。徒歩やバイクで被災地に向かった人や、電気が通じるようになった避難所で安否情報を発信してくれる人が出てきたからだ。そして次第に、本人からのメッセージが間接的に伝わってくるようにもなってきた。それでもやはり、手段が限られているため、直接話すことは難しい。

ある友人の安否情報を探す中で、新聞社が避難所を取材して入手したという名簿情報を見つけた。比較的珍しい姓であり、ご家族も併せてフルネームで掲載されていたので、友人に間違いないと確信した。しかし後でわかったことだが、誰かが名簿にその名前を記入したのは事実なのだが、当のご家族のいずれも、その避難所に実際に立ち寄ったという記録は確認できなかった。これは、Person Finderにご親戚が書き込まれた情報を含め、複数のルートで確認した。震災直後に作成された名簿のようなので、何らかの混乱があったのだと思う。これも、その避難所への問い合わせに対してわざわざ電話で回答をくださった方や、現地で警察や避難所などを回って確認してくださっている方がいるからこそ、そう結論づけることができた。

くだんの友人は、今もって行方不明のまま。もはやそれがどういうことなのか、頭では理解している。でも、なかなか割り切ることができない。遠くの友人でしかない私でさえそうなのだから、身内の行方を探し続けている人は、耐え難い辛さの中にいることだろう。少し前までは、友人と連絡が取れたら、あれを贈ろうこれも手配しようと思いを巡らせていた。それを、ほかの誰かへの支援にできたら、今はそう思っている。

有用と思える情報を見つけたら自分でも再発信したが、あれだけ情報が錯綜する中では有用もなにもなかったかもしれない。かえって混乱を招いた場合もあったかもしれない。そもそもネットで調べられる情報を、ネットを見てる人に再発信する意味はあるんだろうか。意味があるとしても、どれだけの裏付けをして信憑性を確認できるのか。ソーシャルメディアは速報性や拡散性には優れているが、ノイズも多いし、時間が経った情報は埋もれて見つけづらくなる。重要な情報は、複数の人による管理体制が整っているサイトに集積していかないと、あっという間に埋もれてしまう。

これまでも漠然とは思っていたが、今回あらためて強く思ったのは、情報は単に発信すればいいわけではない。
●伝えたい相手は誰で、どのような手段で伝えるのが最適なのかを、常に意識しなければならない。
●手軽な発信方法にばかり頼って、相手が自らそれを見るに来るか仲介者が伝えてくれるのを期待していたのではダメだ。
●後で訂正する機会があるとは限らないから、最初からできるかぎり正確かつ真摯に表現するべきである。

そうは言いながらも、今の自分が情報収集したり発信したりする手段は、ネットに限られてしまうのが悔しい。現地ボランティアとして駆けつけることができたら、と思うが、現実的でないのは重々わかっている。もっともっと考えなければ。

過去のブログから転記しました